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2008-03-08 Sat 21:15
不倫相手の赤ちゃんを誘拐した「私」こと野々宮希和子は、その子を自分の子供として育てるためだけに逃げ続けた。不倫相手に頼まれて堕胎した子供と錯覚しそうになりながらも、「私」はその子に「薫」という名前を付けて母親としての愛情を注ぐ。友人宅、素性の知れない女の家、女性ばかりで集団生活を営むエンジェルホーム、瀬戸内の小豆島と、薫との生活だけを考えながら逃亡し続ける。 後半は十数年後。4歳まで誘拐犯に育てられた薫は元の恵理菜という名前に戻り、成長して20歳になっている。好奇の目にさらされ続けた半生を送り、実の両親との関係は修繕できず、血のつながりはないのに野々宮希和子と同じように妻子ある人と不倫関係を続けている。そんな彼女の元に、かつてエンジェルホームで一緒に過ごしていたという千草という女性が訪ねてきた。 そう好きなジャンルの話でもないのに、とても引き込まれた。この逃亡生活はいつかは終わるということをわかってて読みながら、なぜか野々宮希和子が逃げ切ることを願ってしまう。 母性って言うと月並みになってしまうけど、野々宮希和子の行動は壮絶な母性だと思う。堕胎した直後に見たかわいい赤ちゃんを、つい抱いた。抱いたら庇護したくなったという、母性だろう。そういう女性の本能は説明されてはないんだけど、物語の中で表現されている。その巧みさに、犯罪者であるはずの野々宮希和子を応援してしまっていた。だからこそ、薫だった恵理菜が成長して辿った道が悲しい。 七日間しか生きられない蝉の話を考え続けて、千草がたどり着いた「八日目まで生きた蝉」の話。何となくピンボケに感じるけど、なんだか生きることの重さが迫って来るような話だ。 物語最後のニアミスが生む切なさが印象に残った。 今これを書いてて何となく「八千草薫」が頭から離れなくなったんだけど、どうしてくれよう。 |
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コメント、ありがとうございます。
この話は、終始ひたすら切なかったです。 ラストのニアミスは、会って欲しいような会わないで欲しいような、そんな気分で読み終えました。 こんにちは。
くじらといいます。 こちらの丁寧な感想、興味深く読ませていただきました。 物語の最後のニアミス、切ないのと同時に、心がほんわかするような後味も残りました。 |
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