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元司書による読書備忘録ブログ。思ったことは全部書き、何様気取りの感想だったり平気でネタバレしたりします。
『君の名は』  加納 新太  原作:新海 誠
2019-01-09 Wed 00:24
小説 君の名は。 (角川文庫)
新海 誠
KADOKAWA/メディアファクトリー (2016-06-18)
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 映画『君の名は。』のアナザーサイドストーリー。


「ブラジャーに関する一考察」
 東京に住んでいる男子高生・立花瀧は、時々朝起きると岐阜県の山奥に住む女子高生・宮水三つ葉と体が入れ替わる。女子の体に戸惑いつつ次第に1日をやり過ごすことに慣れていくが、女子として、または堅苦しい宮水家長女としては不自然極まりなく、携帯のメモ機能でやり取りする三葉を怒らせてばかりいた。


「スクラップ・アンド・ビルド」
 元の土建屋「勅使河原建設」の跡取り息子である勅使河原克彦は、町長である三葉の父と癒着している。その事に嫌気がさしつつも、責任や恩義で跡を継がざるを得ない状況を受け入れていた。勅使河原は、幼馴染の三葉と早耶香が町を出たいと愚痴る様子を静かに見守っていたが、オシャレなカフェがないなら作ればいいと提案する。


「アースバウンド」
 最近時々様子がおかしい姉を、不審に思う小学生の四葉。特に自分のおっぱいを揉んでいるのが疑問だった。
 ある日、ふとした拍子に自分と姉が作った口噛み酒は本当に酒になっているのか疑問に思い、自分が作った方の口噛み酒をこっそり味見してみた。
 その日のお神楽の稽古の時、四葉は突然意識が遠くなり、気が付いた時には知らない大人の女性の体に入っていた。目の前の女性にお神酒に悪戯をしたことを諭される。


「あなたが結んだもの」
 映画の舞台より20年前。歴史文化学を研究していた溝口俊樹は、宮水神社を訪ねた。宮司の娘・宮水二葉によると、宮水神社には竜退治の伝説が残っていると言う。俊樹は糸守町にある隕石湖から、竜とは隕石のことではないかと推測した。
 研究のためと何度か二葉と会ううちに、惹かれ合った二人は結婚し、二人の娘が生まれた2年後、二葉が病死した。二葉の死の悲しみが怒りとなり、二葉が入院も大病院への転院も拒んだのは宮水がムスビと呼ぶ人々の関係性を恨んだ。この町を根底から変える決意をし町長に立候補、当選した。
 20年後、隕石が糸守町落ちようとした時、三葉の姿をした別の人間が俊樹を訪ねてきた。


 散々話題になり尽くしてから映画を観て、浅く観ると面白い、深く考えると行き詰ってつまらない映画だと思った。何かもうちょっと深いとこがわかるかなぁと思ってアナザーサイドとやらを読んでみたんだけど、これまた浅い。あくまで別視点の話なだけで、そこに深みとか映画に描かれなかった設定とか疑問の答えとかは書いてなくてがっかり。
 そもそも読み物としてもいまいち面白くない。映画『君の名は。』のテンポあるストーリー運びが好きで、そこに主題歌の『前前前世』の疾走感がマッチしてて良かったんだったけど、この小説の作家さんは思考描写が堂々巡りしてるタイプ。うだうだダラダラと続くモノローグがつまらない。映画にはない点を描こうとしすぎてるせいなのか?この作家の特徴なのか?とにかく読んでてつまらなかった。
 結局『君の名は。』って、タイムスリップなのかパラレルワールドなのか。宮水家の女性に起こる体の入れ替わりは何なのか。何のために忘れていくのか。記憶だけじゃなく記録も消えていくのはなぜか。三葉と瀧に2年のタイムラグが起こったのはなぜか。 そして私的一番の疑問、平成生まれの若者が相手に名前を尋ねる時に「君の名は」なんて聞くか?「名は」って!
 ていうこの辺の疑問が宙ぶらりん過ぎる。不思議な力が謎のままなのは、まあいい。忘却の設定がやけに悲しく感じるのも、きっと原作者の思う壺なんだろう。でもタイムスリップなのかパラレルワールドなのかはかなり重要じゃない?まあ、パラレルっぽいかなと薄々思ってはいるんだけど、それだと別の並行世界では三葉達は死んでることになる。そう思いたくなくて、私はタイムスリップであって欲しいと思ってる。
 あれ?最終的に映画の感想になっちゃった。
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『銀河鉄道の父』  門井 慶喜
2018-08-30 Thu 11:55
銀河鉄道の父 第158回直木賞受賞
門井 慶喜
講談社  2017.09
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 明治中頃。京都へ単身赴任していた宮沢政次郎は岩手県の花巻にある実家から、玉のような男の子が生まれたという電報を受け取った。政次郎不在の間に家を守っていた父・喜助から、子は政次郎の弟が「賢治」と名付けたと聞かされる。
 跡取り息子として厳しく育てたが、非凡ながら家業の質屋に向かない人間に育った賢治。政次郎は憂い悩みながらも、賢治が思うままに進学をさせ、賢治が生きる道筋を作り続けていった。
 かの宮沢賢治の生涯を、父親の視点から描いた物語。


 死んでから有名になった人の日本代表のような宮沢賢治。正直大して好きではない私でさえ、「かたゆきかんこ しみゆきしんこ 狐の子ぁ嫁ぃほしいほしい」は小学校の教科書で読んで以来何十年経った今でも頭から離れないし、「どっどど どどうど どどうど どどう」っていう聞いただけで自然現象が荒れ狂う様が浮かんでくる独特な表現は凄いと思う。『雨ニモマケズ』は面白みのない人物像のようで好きじゃなかったけど、政次郎による「言葉遊びをしていただけ。『そういう人間』に私はなりたい』、つまりなっていない人間による言葉遊び」という解説に初めて納得がいった。きっと賢い人や心がきれいな人は、ちゃんと解釈を見付けて宮沢賢治を好きになっていくんだろうなぁ。
 政次郎は明治の父親像とはかくやという立派な人物ながら、いざ我が子が病に伏すと周囲の反対を押し切って付きっきりの看病をする父親だった。喜助に「質屋に学問は必要ない」と言われながらも、賢治の望むままに進学をさせて援助を惜しまない。それに対して賢治は、賢いながらちょっと心の弱い、それでいて頑固な青年に育っていった。
 日本の文学界からすると宮沢賢治は偉大な人ながら、あまり知識のない私は、貧しい山小屋で自給自足を営みながら児童文学を追求し、病に倒れた人だと思ってた。この作品でボンボンだと知って、ちょっと驚いた。読めば読むほど金持ちのドラ息子的なイメージで、対して政次郎の立派な事この上ない。ただ、賢治の方にも偉大な父を持ってしまった苦悩や反発があったと知って、はっとさせられた。物事の一方だけを見て批判するのは私の悪い癖だよなぁ。確かにこの父親は立派過ぎる。子の危篤に直面してまでも、遺言を問い書き取ろうとする政次郎の、悲しくも取り乱さない姿は本当に壮絶だと思った。賢治の反応の方が普通のはずなのに、情けないと感じてしまうほど立派だった。でも政次郎も内心は終始迷い、案じ、憂いていた。だから、弟の清六が質屋ではないながら新しい事業を始めて軌道に乗った時は、宮沢家がきちんと代替わりしたことに私まで心底安心した。
 賢治の死後、賢治の作品が徐々に認められていったことは有名な話。でも、こんなに死後間もなく認められていたんだ。賢治の分身とも言える作品が世に出て人々に愛されていくのを政次郎が目の当たりにできて良かった。そういうい意味でも、半永久的に残っていく「文学」という存在は本当に凄い。
 とても表現力に富んだ作品で、政次郎の立派な父親像や憂い、子を亡くす親の悲しみが深く痛いほど伝わってくる。宮沢賢治の生涯であることを抜きにして、物語として読んでも十分に面白かったと思う。
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『対岸の彼女』  角田 光代
2018-04-05 Thu 01:27
対岸の彼女
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角田 光代
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 現在の小夜子の視点と、十数年前の葵の視点が交互に織りなす物語。
 3歳の娘を持つ専業主婦・小夜子は、どの公園に行っても母親同士の派閥関係に馴染めずにいた。娘のあかりが友人関係を築けない事も気になり始め、保育園に預ければ社交性も育つかもしれないと働きに出ることを決意する。
 面接を受けた小さな旅行会社の女社長・葵に気に入られた小夜子は、その会社の新事業である掃除代行業担当として雇われた。一緒に働くうちに葵のあっけらかんとした性格に引き込まれ、仕事そのものにものめり込んでいく。しかし家では、夫や姑の理解が得られず苛立ちを覚えることもあった。
 一方、高校時代の葵。中学時代にいじめられ、高校入学と同時に神奈川から群馬に引っ越して女子高に通い始めた。学校では何となく固まった地味なメンツとグループになった一方で、放課後はどのグループにも属さずにフラフラしている明るい少女・ナナコと親しくしていた。
 一年生の秋頃からターゲットを変えながら仲間外れゲームが始まったが、葵は自分がその対象にならない事だけを心配しながら地味に過ごす。ナナコのようにどのグループにも属さないで誰とでも仲良くする女子はハブられやすい。そうなった時に巻き込まれる可能性が高いと考えた葵は、自己嫌悪に陥りながらもナナコとは放課後しか離さなかった。
 一方ナナコはもし葵がハブられても絶対に味方するけど、ナナコ自身がハブられたらみんなと一緒になって自分を無視して安全でいて欲しいと言う。その恐れは、二年生で現実となった。
 夏休みに伊豆のペンションで泊まり込みのアルバイトをした二人は、そのまま家に帰らない事にした。バイトで貯めたおかねを節約しても減る一方で、カツアゲにまで走る。家に帰らない事を決意した時は「一緒だとなんでもできるような気がしていたが、ずっと移動しても「どこにもいけないような気がする」事に気付いた2人は、かつて葵が住んでいたマンションから一緒に飛び降りた。


 高校時代は人間関係にビクついた少女だった葵が、具体的には何歳か知らないけど三十数歳ではサバサバした飾らない明るい女性になっている。どう見てもナナコの影響を受けているんだろうけど、気の置けない楽しい女性だ。だけど何が悪かったのか、葵が決めた方針に不満を持つ女性から反目される。そして小夜子とも、急に心の溝ができてしまった。
 きっかけは小さい事なんだけどこうなっちゃうの、わかるわー。自分の中で勝手に被害妄想ぶちかましちゃうの、した事もされた事もある。
 小夜子は序盤では、人付き合いが下手なだけかと思ってた。母親同士の関係もそうだけど、夫・修二への不満も言えないでいるし、口うるさい姑からも嫌味を言われっぱなしで、人間関係が不器用な人という印象だった。ところが終盤で描かれた高校時代に仲間外れにされた事や、幼稚園ママ達に対する引きの態度、葵への嫌味シーンなんかを読んでると、愚かなんだと思えてきた。うーん、面倒くさい女!そしてその愚かさ私自身も似てる気がする同類嫌悪。
 結局女は女の人間関係から逃げられないものだよね。それを無視しちゃうと、足を引っ張られることがある。まさに女の敵は女。群れたがって、察してちゃんで、マウンティングが行われる中を上手に渡り歩いて自分の居場所を確保しないといけない。義務ではないはずなんだけど、気付いたら“いかに上手く渡り歩くか”を無意識に模索してる。もちろんそうじゃない人もたくさんいるんだけど、少なくとも角田さんの表現を好む人はこの世界を理解できる人が多いんじゃなかろうか。好むか好まないかは別として、ね。
 ほんと、どこにでもある女の世界の機微の描き方がリアルで上手い本だった。
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『あたたかい水の出るところ』  木地 雅映子
2017-04-11 Tue 00:46
あたたかい水の出るところ
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 高3の「わたし」こと大島柚子は、銭湯「松の湯」をこよなく愛し、生き甲斐にしている。ある日いつも通り松の湯を堪能してから外に出ると、高そうなバイクが停まっていた。湯上りのテンションで調子に乗ってバイクにいたずらをしていると、持ち主の大学生・瀬田川福一と言い合いになる。
 和み系で癒し系の「わたし」は、家では恋愛至上主義で自分勝手な長女、神童だったために親の期待を過度に受け根暗な内弁慶に育った三女、朝早くから夜遅くまで働いて滅多に家にいない父、家事のほとんどを「わたし」に任せて妹の教育費のためにパートに勤しむ常に不機嫌な母との4人家族で、誰とも衝突しないようのらりくらりと生きていた。


 のほほんとした序盤に、小3の時に感じた地下を流れる温泉のうねりを感じた体験、サウナでトリップした体験が効いてるほんわか小説かと思ったら大間違いだった。友人に恵まれ、何も考えてなかった就職先も先方から望まれ、お風呂の事以外は何も考えないでぽや~っと生きている幸せそうな地の文のなのに、家庭のドロドロが重苦しい。無意識ながらそれを必死に包み込もうとしているように見えた。
 主人公は柚子だけど、核は母親かな。三女に過度の期待をし、家事のほとんどは柚子に任せ、八つ当たりし、挙句に就職したら家から通ってお金を入れろ。つまり家政婦兼搾取用の子になれってあからさまに言ってるのに、自分がどれだけ歪んだ事を言っているのか気付いていない。期待を掛けた三女の心が壊れつつある事にも気付かないで、三女のためだけに家族を動かそうとしていて、その醜さがじわじわと柚子の笑顔を塞いでいくようで恐ろしかった。
 柚子と福一が体験した世界、「悟り」ってやつかと思ったけど共有できるんならやっぱりどこかの精神世界に行ったんだろうか。そのトリップがあってさえ存在感が薄かった福一が迎えに来てくれたのは、忘れていたとはいえ若干唐突だったように思う。
 ファーストコンタクトは印象最悪で、後々惚れられるという王道に何か引っ掛かりを覚えるのは、柚子が福一のバイクにいたずらしたせいだろうか。お気に入りの銭湯に不釣り合いだからって理由だけでバイクにシャンプー垂らすとか、正直民度が低い。せいぜい、うっかりシャンプーこぼしたって程度にしていて欲しかった。セカンドコンタクトがトリップで、次がもう待ち伏せって展開が早過ぎる。
 さらに、あれだけあの不思議な世界に留まろうとした福一が急に心入れ替えて求婚っていうのも唐突過ぎて、もうちょっとワンクッション欲しい。求婚まで飛ばさないで、傍にいてくれってくらいだったら納得いったような・・・いや、やっぱ唐突だな。唐突と言えば、ゴミ捨て場で予言を告げて立ち去ったおばあさんも然り。あくまで個人的な好みなんだけど、不思議現象は柚子と福一の精神世界だけにしておいて、あとはあくまでリアリティが良かったかな。章題にある「魔法使いのおばあさん」は、平松さんでしたってオチの方が、平松さんの存在の面白さと有難さが際立つような気がする。
 でも、のらりくらりする柚子追い詰めていく母親から、福一が救ってくれて良かった。柚子の存在が福一にとっての救いになるようで、良かった。ずっと影の薄い父親だったけど、最後に柚子に居場所を作ってくれて良かった。あの家庭が出来上がった責任の一端は父親にもあるとは思うし、あの母親の元から柚子を連れて行ってからの離婚はかなり難しいだろうけど、せめて穏やかな余生を過ごして欲しい。

 作者名、数回調べてもまだ読み方を忘れる。「きじ かえこ」さんと読むそうだ。きっと後でこれを読み返した時もまた忘れてそうだと思って、ここに記しておく。
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『邂逅の森』  熊谷 達也
2016-08-15 Mon 08:43
邂逅の森
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熊谷 達也
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 第131回直木賞、第17回山本周五郎賞受賞作品。大正時代に東北地方の阿仁でマタギとして生きた松橋富治の半生を描いた物語。
 貧しい小作農の家に生まれた富治は、父や兄同様マタギを生業に生きていくつもりでいた。しかし地主の一人娘・文枝を孕ませた事により村を追われて、炭鉱で働く事になる。
 炭鉱夫として一人前になった富治が面倒を見ることになったのは、小太郎という悪い奴ではないが一筋縄ではいかない見習い鉱夫だった。ひょんな事から小太郎から尊敬を受けて慕われるようになったために、富治は仕事仲間達から頼りにされる存在となる。
 その小太郎が雪崩で九死に一生を得たことで鉱夫を辞めると言い出した。一緒に自分の村に来て狩猟組を作る提案を一旦は断った富治だったが、射止めたクマを手土産に小太郎の村を訪れる事にした。
 小太郎の家には両親の他に、男漁りに勤しむ姉のイクがいた。そのイクと結婚するという条件付きで村に住まわせてもらう事になった富治は狩猟組を作り、頭領(スカリ)を勤める。
 一人娘のやゑを嫁に出して再びイクと二人で生きて行こうとした矢先、長年熊の肝を買い取ってくれていた喜三郎を介して文枝に会う事になった。富治と文枝の間の子・幸太郎は継父と折り合いが悪かったが、とうとう家出した。富治に会いに来たに違いないと言う。富治の留守中に幸太郎とイクが会ってしまい、イクは富治のためにと家出をしてしまう。イクを説得して連れ戻した富治は、山の神様にタテを収めてマタギを辞めるべきか問うために、狩りに出た。

 深くて濃い・・・。濃厚過ぎて一体どこまであらすじとして書いたらいいのか悩んだ末、結局ほとんど書いてしまったように思う。どんな生き方をする富治も省けなかった。
 マタギ=猟師さんという知識程度しかない私は、冒頭のアオシシ(ニホンカモシカ)狩りで惹き込まれた。方言とマタギ用語が入り乱れる厳しい寒マタギの世界が、幻想的ですらある。でも幻想と言っちゃうと、寒マタギの過酷さが霞んじゃう気がする。想像を絶する世界なんだろう。用語やしきたりが独特だけど、物語の進行を損なわない程度にわかりやすく説明されていて狩りの臨場感が迫りくるような物語だと思う。
 山では完全なる男社会の中でありながら、村での生活で性の話が物語に彩りを付けている。箱入り娘で男を知らなかった文枝との密会に夢中になる富治は、狩りに身を置く姿とは真逆の情動的な様子だった。「夜這い」は現代の考え方から見ると犯罪だけど当時は女性も当然と受け止めて、むしろ楽しみにしている事に驚かされる。ところが地主は夜這いの風習を良しとない人間で、そんな点にも近代思想が少しずつ浸透し始めているところが伺えた。
 地主の差し金で鉱山で働く事になった富治は、文枝に夢中で歯止めが利かなかった頃とは一転してまたストイックで男らしい。寡黙で目上を敬い、目下にも敬意を払っているように見える。前半ではマタギ衆の中でも最若手でいつか腕を認められたいという野心を持ち、文枝との逢瀬を止められない若さ溢れる姿だったのに、村から出て一人立ちするとこんなに立派な青年だったとは。鉱山での生活も、鉱夫を辞める時も、イクを娶るか迷う時ですら、自分と向かい合うとために行動した先に結果が待っているという姿勢が格好良かった。
 「邂逅」とは何だったのか。最初は、獲物との「邂逅」だと思った。読み進めると、もっと荘厳な自然との「邂逅」かと考え直した。でも結局、マタギとして生きた富治が自分自身と「邂逅」したのかなぁと思っていたところに、マタギを辞めるか悩んだ富治が山の神に聞こうと猟に出てヌシを負うと決めたシーンを読んで、神との「邂逅」だったのかと思った。神というか、運命というか・・・。それとも、人との「邂逅」の度に新しい世界が開けていった富治の人生だったのか。
 生きたいという本能よりイクの顔を思い描いて力を振り絞り、使い物にならなくなった足を切断して歩き始めた富治の鬼気迫るシーンは、恐ろしささえ感じた。そこで!?ってとこで終わったけど、その先には穏やかな幸せしかなさそうで、波乱に満ちながらも実直に生きた富治の人生が今後は穏やかである事を願ってしまう。 
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