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元司書による読書備忘録ブログ。思ったことは全部書き、何様気取りの感想だったり平気でネタバレしたりします。
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』  歌川 たいじ
2019-05-10 Fri 09:56
手記 母さんがどんなに僕を嫌いでも
    
母さんがどんなに僕を嫌いでも
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 美しく、人格者で周囲の人から絶大な人気を受けていた母は、家では「僕」にひどい暴力を振るう人だった。父が経営する工場の従業員達、とりわけ「ばあちゃん」に助けられながら育った「僕」は、両親の離婚で姉と共に母に引き取られる。
 離婚が成立してからも母の暴力は続き、母の取り巻きや恋人達にも罵られ、17歳で家出した「僕」。年齢をごまかしながら食肉工場働いて周囲に認められながらも、過去は付いて回って「僕」を苦しめる。
 一念発起して働きながら大学の通信教育を受けることにした「僕」は、学生ミュージカルに入る。美形で人当りの良く人気者の青年・キミツに出会った。母を教訓にキミツの裏の顔に気付いた「僕」だったが、お互い罵り合い、殴り合いながらも仲良くなる。
 その後入社した会社で遮二無二に働き努力の成果が実ったけど、周囲が見えなくなりつつあった。ある日キミツに誘われて飲み歩いていると、同僚のかなちゃんと彼氏・大将を紹介に会って一緒に飲むことになった。「僕」はかなちゃんと大将に毎週誘われて遊び歩くうちに、暗い十代にはなかった青春を感じていた。
 

 たまたま読み始めた歌川さんのブログ。最初から読んでみると、なかなな人生で驚いた。ゲイであることをカミングアウトして生きてる以上それなりに壮絶だとは思ってたけど、虐待やいじめを経験して来たなんて普段のブログからは想像つかない。
 歌川さんは否定しそうだけど、強くて賢い人だなと思う。人に恵まれたと言うより、歌川さんの努力や知性に人が集まって来てる気がする。壮絶な経験をした人がこんなに強く逞しく生きてるのを目の当たりにすると、たかだか無関心や躾けレベルの暴力・暴言がトラウマになって動きを止めたっきり動けなくなった自分が情けなく思う。
 ブログの中でもキミツが一番好きなキャラだけど、この本を読んでもっと好きになった。「親や自分を恨んだりしているうたちゃんが、本当のうたちゃんなの?(中略)もっとその奥に、本当の本当のうたちゃんがいるような気がしてならない」と言う言葉。資産家の息子らしいから、きっと色んな人を見てきたんだろうな。
 歌川さんの体の傷を知ったかなちゃんの「うちの子になりなよ」と言う言葉も、もうね、顔面が滂沱ですよ。
 少しずつ過去と向き合えるようになってきて、とうとう母親と連絡を取り合えるようになった歌川さん。他人から見たら最後の母親のセリフでこれまでのことが帳消しになるはずもない。でも、歌川さんは母と子の時間を過ごす事ができたことを幸せだと言う。正直、そんな簡単に幸せ感じちゃうの?って思わなくもないけど、やっぱタイトル通り「母さんがどんなに・・・」なんだろう。
 マンガ版と手記版どっちを読むか迷ったけど、どっちも歌川さんが書いてるならどっちも読まないと理解は深まらないと思って両方読んだ。マンガはコミカルに描いてるし、手記版も穏やかな敬体で書いてあって、内容とちぐはぐだ。そこにキミツが言ってた「恨み節じゃない本当の歌ちゃん」があると、勝手に思ってる。両方読んで良かったと思う。
 去年だったかな?私が住んでる県に歌川さんが講演に来た。1500円くらいのかなりリーズナブル設定だったにも関わらず、ちょうどマジ金欠だった私。当選連絡が来たのに行かないことにしてしまった。貯金くらいあるんだから、行っておけば良かった。
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『蜜蜂と遠雷』  恩田 陸
2019-03-01 Fri 15:27
蜜蜂と遠雷
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恩田 陸
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 3年ごとに開かれる芳ヶ江国際ピアノコンクールでの、4人のピアニストを描く。
 まずは今は亡き音楽界の大物ユウジ・フォン=ホフマンに師事していたという15歳の少年・風間塵。養蜂家の息子としてヨーロッパ各地を旅する彼は、ほとんど弟子を取らなかったホフマンの推薦状を持ってエントリーした。衝撃的な演奏で審査員達に賛否を巻き起こしていく。
 13歳の時に母が急逝して以来、ピアノが弾けなくなった栄伝亜夜。ジュニアのコンクールを制覇し、CDデビューも果たし、コンサートも開催し、1年半先までスケジュールが埋まっていたが、母親の死後行われたコンサートで本番直前に逃げ出してしまっていた。その後高校卒業までピアノを弾くことはなかったが、母と音大で同期であり、名門私立音大の学長・浜崎の勧めで再びピアノを弾き始めた。浜崎に言われて芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場したものの、本人は特に乗り気でもなくのんびりしていた。「あの」栄伝亜夜が出場すると皮肉を込めた注目もあったが、彼女は誰もが認めざるを得ない演奏をする。また、幼馴染のマー君とも再会し、彼と音楽の感性が非常に似ていることを実感した。
 出場者の中では最高年齢28歳で、音大を卒業後は大手楽器店で働く妻子持ちの高島明石。サラリーマンとして仕事をこなしながら、睡眠時間を削って練習し、自身を追い込み、コンクールに臨む。栄伝亜夜のファンだった。
 世界的なピアニスト、ナサニエル・シルヴァ―バーグに師事している19歳イケメンピアニストのマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。幼い頃に日本に住んでおり、近所に住む少女のピアノ教室にくっついて通っていた。彼がフランスに戻る時に少女がくれたレッスンバッグを今でも大切にしている。その少女・栄伝亜夜と、このコンクールで再会を果たした。ルックスが良いだけでなく、スポーツマンでもあり、何より天才的ピアニストで圧倒的な技術と表現力を持っている。
 選考が進むにつれて、絞られていく才能ある若者達が優勝を目指して予選を勝ち進んでいく物語。

 タイトルから、ビバルディ「四季」の「夏」を連想し、目次チラ見で音楽小説と知って、やっぱりねと思っていた私。全然関係なかったことに衝撃の結末を迎えた。感想として真っ先にそれが浮かぶくらい、楽しめなかった。いわゆる左脳タイプの文系で、音楽経験ゼロ、生活の中で音楽を流すことは少なく無音が好きなため知識も教養もゼロ、さらに純然たる音痴の私に、この本を楽しめるわけがなかった。だって演奏家によって音楽が変わるってことさえピンとこないんだもん。
 それでも恩田陸先生の表現力は素晴らしく、歌詞のない音楽に言葉を尽くして文章で表現してある。どうにか理解できたような気になって読み進めたけど、コンクール始まって次々に演奏されていって知りもしない曲を文章で表現されてもチンプンカンプンな挙句眠くなる始末。
 人物の視点が目まぐるしく変化していくのも、音楽という抽象的な物をさらにあやふやにしている気がする。メインの人物達5人だけじゃなく、審査員、亜夜に付きそう浜崎の娘・奏、ドキュメンタリー番組制作のために明石を撮影する同級生の雅子、明石の妻・満智子、マサルの師匠・ナサニエル、調律師、コンサートマネージャー、他にも様々、同じシーンも複数の視点で細かく行き来して展開するために、あやふや感が加速してしまった。
 それでも人間模様の機微なんかは妙に伝わってきて、塵の音楽に対す愛情や渇望、ホフマンの推薦を受けたことへの嫉妬や、亜夜の音楽に対する真っすぐな心、明石の意気込みやためらい、何でも悠々とやってのけるマサルの抱く恋心、どこか通じ合う天才達、その他の人々諸々の感情がありありと息づいていている。
 表現力に感心することに終始しつつどう終わるのか楽しみにしていたんだけど、何かフワッとしたラスト。クライマックスがないまま、終わったように感じる。結果発表、ないし。ラストにワードで横書きしたような順位表が書かれているだけだし。もっとガッと盛り上がったんならともかく、各々の到達した音楽観だったからページ飛ばしたかと思った。
 教養のなさゆえか私には理解が及ばなかったけど、2017年本屋大賞受賞作品、2016年下半期直木賞受賞。うーん、凄すぎでしょ。
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『百年泥』  石井 遊佳
2018-11-12 Mon 14:38
百年泥 第158回芥川賞受賞
石井 遊佳
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 「私」が日本語教師として滞在しているインドのチェンナイ市で、アダイヤール川が氾濫して百年に一度の大洪水が起こった。三日目に水が引いて外に出ると、アダイヤール川に架かる橋に百年分の川底の泥とゴミが積もっていた。人々はそこから、長らく会えなかった家族や友人を掘り出し、何事もなかったかのように連れて帰る。ふと「私」は、昨日まで理解できなかったタミル語がわかるようになっていることに気付いた。
 アダイヤール川の橋の上で「私」は、日本語クラスの生徒・テーヴァラージに声を掛けられた。絶世の美形である程度の日本語を操る彼は、いつも授業をかき乱して「私」を困らせている。交通違反でペナルティーワークをしていた彼が熊手で泥の中から様々な物を掘り起こしていくが、その度に「私」やテーヴァラージの奇妙な過去が紐解かれていく。


 わりと序盤の、インド人の重役は飛翔で出勤する件でとりあえず1回頭がパンクした。腕に翼を付けて飛んできて、着いたら翼を管理する係の人が翼干場(よくひじょうって読むの?)に並べていく。
 数年前にインドで洪水があったニュースを見た気がする。その時の話かな?と思って読み始めていた私は、飛んで出勤するというファンタジーがなかなか受け止められなかった。何とか論理的に理解しようと何度も読み返して、やっぱり翼を付けて飛んでいるんだとわかって衝撃。インド滞在記を描いた純文学で、芥川賞じゃないのか。
 読み始めはインド滞在記と思わせられたけど、泥の中から何年も前に行方不明になった人々が掘り起こされて誰かに連れられ普通に動き出しす。さらになぜかアダイヤール川底の泥の中から次々に掘り出される「私」縁の品々、生徒達によって何度も脱線する日本語授業の話やら、テーヴァラージが子供の頃に見世物芸人父と旅していた話やら、「私」の母は人魚だったとかの回想が、息継ぎなしの感覚でどんどん起こる。どこまでが何の話か何度も見失いそうになったけど、不思議とつまらなくはなかった。
 泥から出てきたのは、人々の歩まれなかった人生が百年泥。それで全ての決着が着いたように納得がいった。私自身は良く知らないインドという国の、混沌のイメージが文字になってるように感じる話だった。
 混沌、本当にこの言葉でしか説明できない。百年泥を目の前に、全て「私」の白昼夢なんだろうけど、もしかして本当にインドの混沌なのかも、とか考えてしまって面白かった。
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『本バスめぐりん』  大崎 梢
2017-11-13 Mon 11:26
本バスめぐりん。
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 システムエンジニアだった照岡久志は、定年退職後に移動図書館バス「めぐりん」の運転手を務めることになった。これまでの会社勤めとは全く違う職業に戸惑いつつ、明朗快活な若き有能司書・梅園菜緒子ことウメちゃんとのコンビで市内を巡回する。
 久志はテルさんと呼ばれながら次第に移動図書館の仕事に馴染んでいく中で、「めぐりん」の周辺で起こる小さな問題・事件をウメちゃんと共に解決していく。
 人々の本との関りを描いていくほのぼの短編集。
 

「テルさん、ウメちゃん」
 久志がめぐりんの運転手になって2ヶ月半が経つある木曜日、とある利用者が大切な写真を本に挟んだまま返却してしまったという相談があった。該当する本は貸出中だったが、相談者がいる次のステーションで返却された。借り手の女性・寺沢は心当たりはないと言ったが、彼女の態度は明らかにおかしかった。

 コージーミステリーという名称、聞いたことはあっても初めて意味と一致した。ウメちゃん、ありがとう。私、本当に司書だったんだろうかと、我ながら思うわ・・・。
 1話目で設定を色々説明しておきたかったんだろうけど、時系列が急に戻ったりしてちょっと煩わしかった。久志の業務への戸惑いや、前任者の友人・賢一の適任ぶりを描きたかったのか?文字数稼ぎなのか?初出一覧によると隔月誌に掲載されてたらしいけど、例えば私が図書館業務が未知の世界だったとしたら序盤で読む気失っただろう。内容は面白いのに、それがもったいなかった。
 

「気立てがよくて賢くて」
 久志が「めぐりん」の運転手になって5ヶ月目。「めぐりん」が巡回するステーションの見直し会議で、利用者の少ない殿ヶ丘住宅街を削る案が出た。周辺に図書館やそれに代わる施設がないため、数は少ないながら熱心な利用者がいるステーションだ。七十歳前後と思われる男性・三浦などは到着後の開館準備を手伝ったり、何かと機転を利かせてくれる有難い存在だった。
 今のところ芳しくない方針に向かっているために悩む利用者と久志・菜緒子だったが、近くにある「たんぽぽ保育園」の子供達を呼び込めないかという案が出る。張り切る三浦に、年配主婦の若林は険しい顔で反対をした。
 そもそも二十年前に保育園ができる時、町内会が大反対したらしい。役所への申請は通っているため建物は完成したが、住民の要望を呑むこととなった。その要望の中に殿ヶ丘分譲地内の立ち入りを禁止する項目があり、たんぽぽ保育園園長は「めぐりん」の利用を例外的に認めるよう頼み込んだが却下されたらしい。

 移動図書館だけじゃなくて、図書館自体が「気立てがよくて賢い」存在だよなぁ。利用権利は全住民、古今東西の知識、思想、空想を内蔵して佇む。二千数百年の図書館史の中で最大のライバルであるインターネットが台頭し、電子化も進んでいって、もしかしたら未来に図書館はなくなってるかもしれないけど、でも概念だけはずっと残っていくだろうなぁ。図書室を充実させつつも、他所でも本と出会わせたいと考えた園長先生、素晴らしい。
 昨今問題になっている幼稚園や保育園建設反対の話がうまく絡んでて、前向きに頑張ろうとするウメちゃんや利用者が嬉しくて、ラストで和やかに移動図書館利用に向かう園児達が描かれていて、素敵な話だった。図書館は「みんなのもの」であり、ただ内包して、そこにあるだけ。使う側があれこれ衝突するのは悲しい話だ。できれば館長とか教育委員会とかが間に入ってくれたら良かったのになぁ。でも、数十年を経て解決して良かった。
 ただ・・・。殿ヶ丘住宅街は図書館または代替施設がないんだったら、数人の利用者の権利を踏みにじってステーション廃止にするのはおかしい。ウメちゃんが会議でそこを突いたら良かったのに。法の下の平等または学問の自由に反してますよって。ステーションが足りないなら予算を増やして人員を確保すべき。「めぐりん」2号的な感じで、中古のバンを用意するくらいは普通でしょ。市役所の公用車を調整してもらうとか。
 あとこれはイチャモンのレベルだけど、16ステーションがぎりぎりってのは少な過ぎ。私が勤めていた図書館は倍のステーションがあったよ。田舎は図書館、分館、公民館図書室さえ少ないからねぇ。16だったら週8ステーションで、かなり少なめに見積もっても午前2ステーション午後2ステーション1日4ステーション。移動図書館、週2日しか運行してない感じ?いやいや、運行日増やそう。人件費とガソリン代だけなんだから。
 図書館を題材にする本を読むたびにこういう事を考えちゃうから、我ながら粗探し人間だと思う。


「ランチタイム・フェイバリット」
 久志が移動図書館の運転手を務めるようになったのと同じ頃に、駅近のワーキングエリアに設けられたステーションに野庭という青年が通うようになった。読書の習慣はあまりなかったそうだが、カードを作って菜緒子に本を紹介してもらったりしているうちに「めぐりん」の常連になっていった。また彼は、菜緒子の気になる相手となっていったようだ。
 野庭が広場の一角に時々視線を送ることがあることを、何となく気にしていた久志と菜緒子。利用者同士も和気あいあいとしたステーションだったが、利用者がやたらと移動販売車「森のシチュー屋さん」のシチューを勧めてくることに気付いた。
 
 司書と利用者の恋、憧れるような、ちょっとやだなと思っちゃうような・・・。ま、実際のところ全く聞かなくもない話ではあるんだけど。
 謎そのものは大した事ではないし、私は淡い恋愛には特に全く興味ないし、11月下旬から話が始まったと思ったら急に4月に遡って出来事を追ってようやく11月に戻って来るという構成でちょっと目が滑って混乱して、取り立てて面白いとは思えない話だった。
 けど、ウメちゃんが野庭に本屋で気になる本があったら買うように勧めるシーンは大賛成の拍手喝采。「いっぱい借りて、いっぱい買って、いっぱい読む」って等身大のいい言葉だと思う。本を買うことで出版界に貢献し、支えないと図書館も困るわけで。本当に本当、皆、本買おう!


「道を照らす花」
 10月。宇佐山団地のステーションに引っ越してきたばかりの中学生・宮本杏奈が通うようになった。美しい顔立ちをした彼女は母親を亡くしたばかりらしく、ステーションのメンバーは何かと話しかけては気にかけていた。
 毎回本を借りていた杏奈だったが、ある2月の日、突然泣き出したまま何も借りずに立ち去ってしまう。利用者一同騒然となった。

 亡くなった母親から聞いたことがある移動図書館で、母親が好きだった『モモ』を借りてひっそりと偲ぶ様子がいじらしい。
 「本って、変わらないのがいい」。ウメちゃん、私も本当にそう思うよ。どんな気分で開いても同じ世界があって、同じ本を親子で読み継いで、大昔の物語さえ寸分変わらず存在する。紙や印字が劣化しても、中身は全く変わらないでこちらに語りかけてくる。知識ある全ての人間は、その語りかけを知ることができる。私は本のそういうとこが好きだと思うし、尊敬というか崇拝に近い気持ちを抱いている。「(中略)『モモ』の中身はこれからも変わらなくて、ふらりと手に取り開いたら、大好きな世界がそこにある。」本当、そこが本の素晴らしいところ。
 杏奈ちゃんが毎回借りていく本が『モモ』っていうのもいいよね。あれは本当に名作だ。ていうか、ミヒャエル・エンデは偉大。


「降っても晴れても」
 久志が「めぐりん」の運転手になって2回目の夏を迎える頃、「めぐりん」の存在を広く市民に知ってもらうために10月の市民祭りに参加する事になった。各ステーションの利用者達も様々なブースを出す事になっていて、話が盛り上がる。
 「めぐりん」をどう売り込むか意気込み過ぎて空回り気味の菜緒子だったが、野庭との距離が縮まらない事も久志は気になっていた。
 そんな中、図書館宛てに、移動図書館の運転手が特定の女性とばかり親しくし過ぎるという投書ハガキが届く。久志本人はもちろん、菜緒子にも心当たりはなかった。

 苦情の件はすぐ解決するんだけど、市民祭りで利用者もちょっとだけ浮足立ってるのが楽しい。当日は各ステーション利用者が市民祭りに参加していて、これまでの登場人物大集合。それぞれ交流はないけど「めぐりん」を仲介して繋がっていると思うと、暖かい気分になれた。もしかしたらテルさんとウメちゃんが、市民祭りでいい感じに繋いでくれるかもしれない。
 菜緒子と野庭の仲も少しずついい方向に進んでいるような、平行線のような。ま、相手も憎からず思ってるみたいだから、きっと段々と深まっていくんだろうよ。
 

 移動図書館として、いや図書館全体としての理想が詰まってて、私が本や図書館に対する想いもいい感じで散りばめられていて、読んでて嬉しくなる本だった。きっと私だけじゃなくて、本好き図書館好きは誰しも思っていることに違いない。それを上手く物語に組み込んであるところが見事で、ウメちゃんもテルさんも大好きになった。
 私も司書時代は移動図書館に乗ることもあったけど、こんな風に愛されてはなかったかなぁ。マイカー1人1台の田舎住まいで、本を借りたい人は図書館行くから利用者は少なかった。当然そのせいにしちゃいけないわけで、移動図書館を担当する事を軽視していた自分を思い出して恥じ入りながら読んだ。
 これ読むと、利用者として移動図書館に行ってみたくなる。ただ、万人受けの本ではないかな。題材の地味さはさておき、文章が何というか・・・女性がストレス解消で話す無駄話に似てる。始まったと思ったら話が飛んで過去になってて、いつの間にか現地点に戻ってて、どうでもいい回想入って、結末はふんわりとどうでもいい感じ。気付いたら相手の返事が明らかな生返事になってて・・・つまり、私の無駄話でもあるわけなんだけど。地の文である久志の視点すら女々しくて、女性作家による女性向け小説って感じ。
 ほんわか系は苦手だけど、移動図書館がテーマで「あるある!」とか「こんな感じ、まさに理ですわー」とか思えたからそれなりに楽しく読めた。でもテーマが例えば看護婦とかだったとしたら、最初の数ページで読むの止めてたと思う。
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『海の見える理髪店』   荻原 浩
2017-01-13 Fri 12:32
海の見える理髪店
海の見える理髪店
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荻原 浩
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 どこか歪になった家族の短編集。表題作は直木賞受賞作品。

「海の見える理髪店」
 密かに通う大物有名人もいるという理髪店をインターネットで探し当てた語り手の「僕」は、髪を切られながら店主の半生を聞く話。店主は、戦争やその他の色んな苦労を経験しつつも成功を収めた話を、なぜか一見さんに独白のように話し続けた。

 ずーっとずーっと続く穏やかな語りから、突然始まったラストの衝撃が凄い。だけど、結婚の報告だけして帰ろうとする「僕」が歯痒い。言おうとして飲み込んだ言葉は、結婚式への招待だと思う。どうして言わなかったんだろうか。
 でも最後の店主の言い訳にも似た遠回しな愛情が、もう全部吹っ飛んだ。親子の再会の喜びと同時に、別れる羽目になった哀れみとで、1行ちょっとの文を何度も何度も読んでしまった。おい主人公、何で結婚式に来てくださいって言わないんだよー。この後言えよー。
 イメージ的には寡黙そうなのに、やたら語る店主。でも退屈じゃない、穏やかで安らぐ雰囲気に飲み込まれてしまう不思議な話だった。戦後からの文化の移り変わりをくぐり抜けてきた話なのに、この丁寧で上品で美しくて、優しげな口調が伝わってくる文章だった。


「いつか来た道」
 弟から頼まれて16年ぶりに実家を訪ね、母と再会した私。あれほど厳しかった母は足が弱って車いすを使い、整っていたアトリエは雑然としていた。「私」は母とのやり取りに違和感を覚えつつ、叶わなかった母自身の夢を「私」達姉妹に押し付けてきた過去を思い出す。

 主人公の目的が不明なまま風景描写が長々と続いて、やっと物語が動き出した最初の一文で、なんか飽きた。弟からの「会ってやってよ、ママに」の言葉で、どうせ変な母親から逃げたけど久々に会ったらボケててショック受けたとかそういう話でしょー。ほら来た、なんか態度が変。家もあちこち変。
 あちこち違和感あるのに認知症の事は思い当たりもしない主人公も変だけど、退行現象が見られる母親に何だかんだ和解を示そうとしてるのにモヤモヤする。叱られ、否定され叱られ罵られ続けた幼少期に作り出した自分の分身の存在も中途半端。漂う薄幸感の中に、やたら繊細な風景描写がダラついて感じるのも、ちょっと苦手。
 結局40歳過ぎても親に愛されたかった願望には逃れられなくて、ボケた親からようやく自分への愛情を見付け出して、許すのって陳腐。年齢的には厳しいから、この先の大きな幸せも期待は薄い。フィクションなんだから、仕事かプライベートのどっちかはもうちょっと幸せになってて欲しかった。
 

「遠くから来た手紙」
 残業続きの夫に腹を立てて、1歳の娘を連れて実家に帰った祥子。自分が使っていた部屋は同居し始めた弟夫婦が使っているために、かつて祖母が使っていた仏間で過ごす事にした。居心地の悪さから目をそらしつつ過ごす祥子に、見慣れないアドレスから古臭い文章のメールが届いた。

 おっさんが考える底浅い主婦像?それとも、狙ってこういうキャラなの?仕事が忙しくて育児を手伝えない夫に腹を立てる人なんて、私の周囲には1人もいない。旦那さんが土日も忙しくて母子家庭状態って人も何人もいるけど、こんな「仕事と家庭どっちが大事なのよ」的な頭悪い不満持つ女、なんなの。でもって実家で弟嫁に対して小姑丸出しで偉そうにしてるとか、なんなの。返信不要と送っておいて返信ないと怒るとか高校生かよ。もしかしてギャグなの?
 腹いせ以外の何でもない迷惑な家出で実家に帰って孝之との交際や遠距離恋愛での手紙のやり取りを思い出していくんだけど、 取り立てて珍しい事もない恋愛だし。これでムカつく頭の悪い女に対してちょっとした霊的現象でしたとかズコーッてなるし、迎えに来ると思われる孝之とわざと入れ違いになるように帰るとか頭も性格も悪すぎる。
 

「空は今日もスカイ」
 母親が離婚して、母子でおじの家に身を寄せた小3の茜は肩身の狭い生活に嫌気が差していた。海を見るために家出をして寄り道をした神社で、ゴミ袋を被った少年に出会う。彼をフォレストと名付けて、海に誘った。
 海に着いて遊んだものの暗くなると心細くなって帰りたくなった茜と、帰らないと父親にぶたれると震えだすフォレストは、ホームレスの男に見付かって一晩お世話になる。

 序盤のルー大柴ばりの英単語が鬱陶しかったけど、それが後半から出てこなくて最後まで全く活きてなくてただダラダラ長いだけだった。あの辺、大幅にカットして英語への現実逃避のとこだけの方が私は好みだなぁ。不要な情報が長くて役に立ってない話は苦手だ。1章目の「海の見える理髪店」は、あの長さが活きてたんだけど。
 小説家を目指すも失敗続きで酒乱の父親も駄目だけど、田舎にある身内の家に世話になって田舎だから仕事がないと言う母親も駄目だ。男を見る目がなさすぎるのと、そんな男と子供を作ったことも駄目だけど、田舎には仕事がないのは常識だし病院がなくなってるのもすぐわかる事なんだし、どんだけ情報弱者なのか。早めに見切りをつけて都会で母子手当もらいながら頑張る方が得策って早く気付いてほしい。
 いまいちな話が3章続いて、ちょっと苦痛になり始める。


「時のない時計」
 父親の形見に貰った古い時計を、商店街の外れにある古い時計屋に修理に持って行った「私」。店主は修理・分解掃除をしながら、店内にある思い出の時間で止めてある思い出の時計の話をする。結婚した時の時計、娘が生まれた時の時計、娘が死んだ時の時計・・・。時計の話を聞きながら、「私」は見栄っ張りだった父親の事を思い出す。

 主題はどこなのか。父親の思い出なのか、止められた時間なのか。薄暗い店内を彷彿とさせるどことなく薄暗い文章の中で、娘が死んだ話はまだ小さな驚きだった。店主が帝王切開を拒んだせいで娘が障害を患った話が、とても重い。些細な見栄が、一生かけても償えない罪を背負っていると思うと、重い。
 ただ、思い出の時間に囲まれた店主に対して主人公の「私」がどうも薄っぺらくて、彼の思い出話はかなりどうでも良かった。


「成人式」
  15歳で亡くなった娘・鈴音のことを5年間引きずったままの夫婦の下に、成人式の着物のカタログが届いた。それをきっかけに、「私」は妻に鈴音として成人式に出席することを提案する。乗り気になった妻・美絵子を前に撤回できなくなった「私」は、自分も男物の晴れ着を着て一緒に参加することを決意する。

 読んでて痛々しい。娘を失って5年が経ち、平静を取り戻しつつあるのにふとしたきっかけでパニックを起こす美絵子が、情熱を傾けられる事を見出したことは喜ばしいと思う。でもやっぱり、本当に成人式に行っちゃうのはやっぱり痛々しい。鈴音の友達に会えて集団に紛れさせてもらえたのは救いだけど、痛々しさを少し薄められただけだったと思う。
 喜ばしいことに子供を失ったことはない私だけど、子供に先立たれた親はこれだけのことを成し遂げられる負のパワーを秘めてるんだろうか。一人娘が先立たれて、人は悲しみながら生きていけるものなんだろうか。私は子供が死んだら生きていけないと思ってるけど、後ろ向きながらも生きていくものなんだろうか。死んで5年経ったら、友達にはナチュラルに忘れられるんだろうか。
 ちょっと考えさせられる話だった。


 最初の話はすごく良かった。『明日の記憶』だけ読んだことあるけど、やっぱ美しくて哀しい話が上手い人なんだなぁって思った。でも残りの話はちょっとイラッとなる事が多発。
 母ちゃん娘に夢押し付けんなよ、娘も振り切るなら振り切りなってば。余計なものがそぎ落とされてやっと見えた愛情に縋っちゃいかんよ、幸せになりなよ。
 忙しい夫に何やってんだよ、夫に非はないじゃんよ、世の中子供が1歳になる前から預けて働いてる人もいるのに我が儘過ぎ。怒ってみせて相手がじゃあもう帰ってくんなってなったら、離婚に不利になるのはアンタなんだよ。なんで相手の愛情が尽きることは想定にないんだよ。妻子の幸せのために働いてるんだろうに、息抜きは上手にやれよ。
 小3の子供に罪はない。主人公の両親がクズで、フォレストの両親はもっとクズで、どうなってんのマジで。フォレストの両親は虐待の罪で捕まりますように。茜の母親は、ちゃんとハロワで検索地域の範囲を広げなさい。公共施設で一定時間自由に使えるパソコン使って調べてもいいんだから。それか、前住んでた街の前に就いてた仕事に戻らせてもらって、役所に行って母子手当関係をちゃんと聞きなさい。
 意地とか見栄とかで辞表出すな。庶務課が何で駄目なのか。庶務課から営業なら大変かもしれないけど、営業から庶務ならいいじゃん。給料下がるかもしれないけど、57歳で無職よりは絶対いいって。局長が上層部からの覚えがめでたくて、自分は局長から煙たがられて異動って、被害妄想じゃなくてあり得るの?今の世の中、ベテラン営業マンを異動させても大丈夫なくらい安泰の会社って何系よ。そんな簡単に飛ばされるような成績しかなかった営業マンだったって事なんじゃないの?
 お父様とお母様は・・・うーん、事情が事情だけに、ご自重くださいとしか言えないわ・・・。
 と、架空の人物に真面目にツッコミ入れてしまうくらいのリアリティがあったのは確かだ。
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